京都西山高等学校

今月の賢言(かしことば)

脚下照顧(きゃっかしょうこ)

「脚下」とは足元のことを指していますが、本来の自分、自分自身のことです。「照顧」とは観照顧慮のことで、要心する・注意するという意味です。

「脚下照顧」とは、他に向かって悟りを追求せず、自分の本性をよく見つめよ」という禅宗の戒めの言葉です。他に向かって理屈を言うまえに、まず自分の足元を見て自分のことをよく反省する、足元に気をつけよ、身近なことに気をつけよという意味でもあります。

禅寺の客殿の入り口を玄関といいますが、玄関とは仏道に入る幽玄な関門のこと、悟りの境地に至る難透の関所ですから、自分を顧みることを忘れぬことと、「自己を問え」と一喝しているのです。履き物を乱雑に脱ぎ捨てるなということですが、自己反省の意味もあって自身を顧みよということでもあります。

法句経に「おのれこそおのれのよるべ、おのれをおきてだれによるべぞ、よくととのえし、おのれこそ、まことえがたき、よるべをぞえん」とありますが、自己を問うということです。

自分の足もとを見ることもしないで、他人の足もとによく気がつき、ついつい他人の批判をしてしまうということもよくあることです。他人を批判する前に自らを顧みよということでしょう。他に向ける目を自己に向けて常に自分の足もとをおろそかにせぬように気をつけることが大切です。汝自らを知れ、自己を反省せよということでしょう。

外に気を向けてしまうと、ややもすれば自分のことを忘れて、心が揺れ動いてしまいます。また目の前のことばかりに気をとられていると、先のことが見えなくなり前向きに生きられません。しかし前ばかり見すぎると足もとがおろそかになり、自分の立っている場所さえわからなくなってしまいます。それで立ち止まって自分の足もとをよく見るということも大切なことです。

前方に眼をやりそれに心を奪われて足元を忘れていると、石につまずいたり、転んだりして怪我をすることがあります。また足元をしっかりさせていないと足を取られてしまうこともあります。自分の内面に眼を向けないで他に向かっていても、本当に目覚めることはできません、自己内省が大切です。

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